先週船便がようやく到着し、その中にあった1冊「私家版・ユダヤ文化論」(著:内田樹)を読みました。
「ユダヤ人」という概念にアプローチする中で、サルトルやレヴィナスらの思想を検討し、歴史的な反ユダヤ主義の形成過程や各民族の民族誌的奇習を考察。最後に人間の人間性を基礎づけるものについて論じたうえで、ユダヤ人問題が最終的解決に行き着くことは決してないと断じています。著者は30年以上に渡ってユダヤ文化を研究しているとのことですが、単純なユダヤ論に終始せず、人間の思考傾向の分析まで行われている点がとても興味深く感じられました。
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「人間はまず何かをして、それについて有責なのではない。人間はあらゆる行動に先んじて、すでに有責なのである。」
「隣人を歓待すれば主に祝福され、隣人を苦しめれば主に呪われる、というような『勧善懲悪』のメカニズムのうちに人間はいるわけではない。もし、そうだとすれば、決定権は100パーセント人間に属し、神には何の権限も残されてないことになる。」
「『私はこれまでずっとここにいたし、これからもここにいる生得的な権利を有している』と考える人間と、『私は遅れてここにやってきたので、<この場所に受け容れられるもの>であることをその行動を通じて証明してみせなければならない』と考える人間の、アイデンティティの成り立たせ方の違いのうちに存している。」
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突然おじゃまします。
今、内田樹の『日本辺境論』を呼んでいるところです。
「『私はこれまで・・・の件は、これまでの僕の疑問に答えるものでした、後者の人間として、自分のマトリックスの作り方が見えた気がしました。
twitter:petitepao
投稿情報: petitepao | 2010-01-22 01:36
>petitpaoさん
コメントありがとうございます。
私は前者的思考の持ち主ですが、大変参考になりました。
良著ですよね。
日本辺境論、私は未読です。
いかがですか。
投稿情報: Shibuya | 2010-01-23 16:50